2003年12月31日水曜日

拍子抜け大晦日



いやー、新年にこれを書いているのですが、皆さん拍子抜けしませんでしたか?年末。


まずは曙対ボブ・サップでしょう。元横綱がビーストに対してどこまで通用するのか、前宣伝もすごくて私も含め皆さんある程度期待していたと思うんですよ。私も寝ていたのにその試合の前には起こしてもらったんですわ。で、眠い目をこすりながら見たのですが、1ラウンドで思いっきりKOされましたね。この瞬間を見るのに我々は半年近く待ったのでしょうか。拍子抜け。


そしてその後に見た紅白の採点、ありゃーまずいんじゃないの?白組の圧勝じゃないですか。テレビ的には事実をねじまげても多少赤組に点をあげておくべきじゃないのでしょうか。赤組の人達はあれじゃさみすぃーよね。せっかく紅白に出て日本の芸能界で「上がり」になったのにさ。


ま、こういう拍子抜けな感じが2003年ぽい、といえばそうなのですが。。。





2003年12月21日日曜日

2003-12-21



うれスぃー時間の浪費


今日は時間を無駄に過ごしてしまった。


でも明日もお休みなのだ。子供の面倒を見れば特にするべき事もないのだ。


と言う事でWinny導入法とか2ちゃんねるとか散々インターネットの世界をうろうろした。4時間以上やってるんじゃないかなあ。


でも罪悪感がないのだ。うれスぃーのだ。


そして、今日はじめて聴いたけどInterFMのバラカンビートは必聴だね。あといつも聴いてる土曜朝のウイークエンドサンシャインと。いや、ピーターバラカンって凄いよ。





2003年12月19日金曜日

忘年会!



いやー忘年会のシーズンですが皆さん胃袋元気ですかー?


私は元気でーす。というのも最近体調を崩していて忘年会にまだほとんど出られていないからでーす。飲まなきゃ体は元気なのですね。。。発見。


で、今日も忘年会です。そして体調いいです。気合入ってます。


昨日は一日お酒を抜いたし、少しジョギングもしたし、今日の昼も少し軽めに済ませたし。家族も今日は忘年会だから遅くなることを知っているし。


お、知っているかな?やばいな。


メールしとこ。





2003年12月18日木曜日

カラダヲウゴカセ



何ヶ月ぶりにジョギングをした。


夏前にジョギングシューズを買ってたまに家の周りを走っていたのだが、秋口から仕事が火を噴き始め、走る時間がないという口実で全然走らなくなっていたのだった。


今日はふと自分に余裕のある時間があったので、走ってみた。


寒かった。20分と少し走り終えても汗は額から落ちなかった。タイムはなぜかいつもよりよかった。なぜしばらく走っていない方が調子がいいのだろうか。しかし最後辺りは膝が痛くなってきた。体重かなあ。


そして、明後日位に筋肉痛が出るんだろうなあ。杜甫甫。





2003年12月16日火曜日

ね、ねむい。。



眠いのに、そして終わってない家事もあるのにネットサーフィン(死語)してもうた。やはり何も得られなかった。


俺って何。。。。


今日のBGM 安東ウメ子 「イフンケ」





2003年12月14日日曜日

フセイン元大統領拘束



トヨタカップの大激戦を見ている間に入ってきたホットニュースですが、(最後のPK戦すごかったね)


なんだか時期がわざとらしいし見つかった状況も変じゃない?


ま、権力は好きなように情報を操作できるから。そういう眼鏡をかけてニュース(特にアメリカの大本営発表)を見なきゃいかんってことですね。





2003年9月29日月曜日

秋の気配



今日帰り際にいつも通る公園を通った。コオロギが沢山鳴いていた。ちょっと前はセミがうるさいくらい鳴いていたのに。


どこかからキンモクセイの花の匂いが漂ってきた。


ちょっと半袖では夜が寒くなってきた。


好きな季節の始まりだ。





2003年9月28日日曜日

コンクリートジャングルの奇跡



今日の話はすごいっすよ。


私、今日外で飲んでいて清々しい朝を迎えてしまいました。明るくなる前に店の前に自転車止めて入ったんですけど、前カゴの中に赤いジャケットを入れておいたんですわ。そして朝のNHKニュースなぞ見ながら黄色い御来光を拝まさせてもらいました。


そうしていい気分で出てくるとカゴに入れてあったジャケットがない。ちょっとひんやりとした清々しい朝でしたので、どなたかがお持ちになったのであろうと考えました。ま、カゴにジャケット入れたまま飲みにに入るほうもアレですからね。ちょっとだけ酔いが覚めてバッドになりそうな予感でしたが、何とか家に辿り着いてすぐに寝てしまいました。


そうして日曜日、まとわりつく子供に睡眠をさたまげられつつ夕方になり、だいぶ調子も戻ってきたので子供と二人、歩いて近くの図書館に出かけました。本を返して次に聴きたいCDなどを物色し、何枚かと子供の絵本を借りて階段を二人して降りておりました。その時我々の横を赤いジャケットが通りすぎたのでした。


「マジ?!」


その赤いジャケットはまさに私のもの!下北の古着屋で買った私のジャケットと全く同じ刺繍が胸に入っているではありませんか!そこのスキンヘッドの中肉中背、労働者階級のおっさん!


「おじさん、ちょっと待ってよ。このジャケット、今朝取られた俺のジャケットにそっくりなんだけど、どこから持ってきたの?」


肩をかけつつ襟の裏側にあった落書きをチェックする。あった!間違いない。


「これか?息子が持ってきたんだよ。おりゃ知らねえよ。」


言葉遣いからしてあんまり強そうではないが体はがっしりしている。黒いシャツとスラックスでのコーデもちょっと怖そう。傍らでは息子が不思議そうな顔をして二人のやり取りを見ている。


「おじさん、じゃ、息子さんのところ行こうか。これ俺のジャケットだよ。」


「いや、息子はどこかいっちゃったよ。ちょっと引っ掛けただけなんだよ。おりゃ知らねえよ。」


「じゃさ、これもらってもいいかな。俺のジャケットだし。」


「あ、いいよ。これでいいんならいいよ。」


ジャケットのポケットからスニッカーズ数本(!)を取り出し、ジャケットを私に渡す。取られたジャケットが帰ってきた… こんなことがあるんだなあ、と呆然としていると、おっさんは前に歩いて行き、振り向いて一言。


「あって良かったなあ」


「俺のだよ!」つい声が大きくなる。


そのまま彼はタバコをふかしながら歩いていった。


息子と私はその後何事もなかったように家に帰った。


取られたジャケットは帰ってきた。


しかしどうも釈然としない。





2003年9月18日木曜日

オオキイヘビ



息子を寝かしつけていると、彼が半分まどろみながら寝言を言った。


オオキイヘビツカマエル


大きい蛇なんて見たこともなかろうに。これが彼の夢なのかなあ。ある意味非常に子供らしい夢であるなあと思った。


しかしその後苦しそうな表情になり、おもむろにズボンとパンツを脱ぎだした。これは普通ではないので彼をゆすって起こした。結局彼は起きてトイレに行き、大きい方をぶちかましてくれた。


どんな夢なんだろう。。。。





2003年9月17日水曜日

十余年ぶりの



今私が大学時代にバイトしていたイタリアン(ふぁみりー)レストランに来てます。店の名前も変わってしまって、メニューも雰囲気も全く違うけど、建物は当時のままでした。洗い物したり、ピーマン大量に切ったり、ピザ作って焼いたり、またそれを隠しておいて家に持って帰って食べたことなど思い出しつつ、(当時の方が絶対おいしかった)ピザを食べました。





2003年9月4日木曜日

子供天気予報



今日は私がムスコを保育園に送っていった。


普段は私の原チャリのシートに乗っけて保育園まで押してゆく。今日はちょっと雨がパラパラしているが天気予報では大丈夫だと言っていたので、原チャリのカバーを取ろうとした。そこで彼が一言。


「今日はバイクで行かないの。あんよで行くの。」


何でこんなこと言うのか分からないが、ま、いいや。ヘルメットを置いて歩いてゆく。そして彼を保育園に送り届け、しょうがないので駅まで歩いてゆく。





するとまもなく雨足が強くなり、土砂降りになった。


ひょっとして彼は天気が分かるのか?





2003年6月26日木曜日

梅雨の友



この時期、適当な飲み物って困りません?


ビールはたくさん飲むと汗ばむ+ちょっと寒いし。ウイスキーはきつくて爽快感がないし。日本酒は舌に甘ったるいし、ワインを一人で空けるのはなんだか侘しいし。


で、あれもだめこれもだめ、って結局飲み過ぎてワケわかんなくなるのだが(笑)





2003年6月25日水曜日

モロミズ






喉が乾いた。


台所へ行くとカミさんが氷の入った空のグラスを流しに流そうとしていた。


「それ何が入ってたの?」「モロミズ」


何じゃそりゃ?ただの水を方言で「もろ水」っていうのかな。日本は広いなあ。そのグラスをもらってそのまま水を注ぐ。


「モロミズよ」


カミさんが言う。わかってるって。


飲む。なんだか酸っぱい。何じゃこりゃ?








あ、これってもろみ酢。。。





2003年6月21日土曜日

払い戻し









京急線に夜遅く乗って家に帰った。


昼間は急行やら特急やらたくさんあるのだが、もう終電に近い時間なので鈍行しかない。本当に家のある駅までたどり着けるのかね、と思ったがまあ酔っ払っていることもありのんびりしたものだ。


すると案の定途中の駅で電車が終わった。


この駅からだとJRに乗り継げばまだ家に帰ることはできる。しかし切符が無駄になったなあ。とりあえず駅員に言ってみるか。


「あの~切符買ったんですがここで電車終わったんですけど。」


「は?」


駅員は言葉とは裏腹に目線は「おまー何たわけたこといっとるんだこのバカ!」というかんじのメンチン切りモード。


お?とそこで大人気なくなくなってしまう私もアレだが、ま、キレた。


何を言ったか覚えてないがとにかく反撃を許さないモードでたたみ掛けた。


結局目線はメンチンモードのまま駅員は差額を返してくれた。








60円。ハハハ。





2003年6月20日金曜日

シロ









最近歯医者に通っている。


齢を重ねるにつれ確実に歯も悪くなるらしく、治す所がたくさんあるらしく、もう何ヶ月も通っている。だんだん歯が銀色に変わってゆくのが不気味でもある。


さて、今日は前回型を取った銀歯を詰める日だ。お医者さんが銀歯を歯に押し込み、取り外してそれを削って修正する。もう何回もやっているのでおなじみのプロセスだ。こういう日は痛くないので治療を受けるこちらも気楽なものだ。


しかし今日は取り外して修正する回数がやけに多い。銀歯を取り外すと椅子を起こされ、口をゆすいでください~と言われるのだがそんなに何回もバッタンバッタン寝起きしたりすると疲れてきた。まだ終わらないのかなあ。


そして、お医者さんが力のない声で看護婦さんに呼びかけた。


「XXさ~ん、今日はシロで」


シロって何なんだろう。


すると何故かもう一度その歯の型を取られた。そして銀歯ではなく仮の詰め物をされた。おしまい。


「最後の段階で失敗しました。どうもすみません。また来週同じところをやりましょう。」


そうなのか。弘法も筆のあやまり、河童の川流れ、サルも木から落ちる、ローマは一日にして成らず、だな。


会計に行くと先ほどの看護婦さんがいて、


「今日は御代はなしです、そういうことなので。」


と言われた。





なるほど、「シロ」ね。





2003年6月18日水曜日

油取り紙









電車の中で私の前に座った妙齢の女性が鏡を見ながら油取り紙で顔の油を取っていた。1枚、2枚、油ぎる季節ですからね。見る見るうちに紙が油紙に変わって行く。4枚、5枚?そんなに出るんだ。結局6枚。すっきりした彼女の顔とは裏腹な私の体験。。。





2003年5月31日土曜日

復活!ベーシスト!









今日は何年かぶりに人前でベースを弾いた。


行きつけのお店の人(テナーサックスを吹く)が、ジャムセッションがあると教えてくれたのでお願いして連れて行ってもらったのだ。ベースを弾くのはもうかれこれ4年ぶりになるのではないだろうか。その前はかなり集中的にバンド活動をしていて、そこそこうまい、と自分では思っていたが、このブランクでどれくらい下手になったのか、それを考えると怖い。


店に行く前に30分ほど家で指慣らしをする。やはり早いフレーズはもう弾けない。頭の中では二倍くらい早いフレーズが鳴っているのだが、それを音にはできない。


彼と待ち合わせてお店に向かう。お店はこじんまりと小さい。しかしかなり人が入っていて、ステージでは年配の女性がジャズのスタンダードを歌っている。バックはみんな譜面を見ながら弾いている。。。難しそう。


ビールを頼んで空いた席に座る。彼が色々な人に紹介してくれる。しかし彼も僕がどれくらい弾けるのかは知らず、なんとなく中途半端な紹介になってしまう。


そのうち彼が呼ばれてサックスを準備し、ステージに上がる。おいおい、めちゃくちゃうまいじゃん。そして守備範囲が広い。どのような曲でもうまく合わせて吹ける。冷汗。。。


その後1時間して、仕切っている人からお呼びがかかる。楽器を取り出してステージに上がる。僕の好きなキーで好きなようにブルースをやってよいと言われる。じゃ、一丁やってみますか。"Messin' with the kid!"


細かいフレーズがやはりうまく弾けない。小節の後ろのほうの音は切れてしまったり、弦を指が滑ったり。たくさんの眼がこちらを見ている。緊張するなあ。でも少し弾くと指がそれなりに動くようになってきた。小さいステージでも照明を浴びてお客さんに向かって演奏するのはいいものだな、と思える。ジャムセッションだからほかのプレイヤーとのやり取りを楽しみたく、他のパートを一生懸命聴きながら弾くが、あまりそういう感じでは弾いていないようだ。じゃ、このさいこっちから仕掛けますかね。


お客さんを見る。僕を指差しつつ頭を振っている人がいる。音が小さいか。やはりアンサンブルになってないのか。その人がブルースハープを持って入ってくる。何だかノっているぞ。ピアニカを持った人も入ってくる。これって結構盛り上がってない?そして結構長くやってるぞ。ネタがなくなってくる。前は色んなネタ(展開できる材料)を持ってたのだが、大分忘れてしまったなあ。あ、終わりだ。ビロビロビロビロ~ン。はい、おしまい。


ああ、気持ちよかったなあ。席に戻ってビールをとると隣に座っていたお兄ちゃんが乾杯してくれる。これは、良かったってことなのか?ハープを吹いていたお兄ちゃんもこちらに来て「良かったですよ~!ブルース好きなんですね?」周りの人も彼に合わせてうなずいている。


これって、まだ自分はいけてるってこと?


皆に聞いてみる。そうなんだって。安定感があって、そして楽しそうに弾いているんだって。


そうなのか。すごくうれしい。


それから何時間かして、セッションが終わりサックスの彼と2人で帰る。彼が別れ際に、


「また遊びましょう」


と言う。50近くのお父さん、それもテナーサックスを自由自在に操る人からのこの一言。とてもうれしかった。


さ、次のセッションに向けて練習だな(笑)





2003年5月30日金曜日

ファーストエイド









子供を保育園に送って、さあこれから会社に行こうと一旦家に戻ろうと家に向かう橋を渡っていると、目の前をMTBがジャンプしながらかなりの高速で横切っていった。気合入ってるなあ、と思っていると、曲がり角からスッと出てきたママチャリに出会い頭激突した。自転車は二台とも空に舞い、地面に叩きつけられた。


目の前で大惨事が起こってしまった。自転車を止めて倒れている二人に近づく。MTBのお兄ちゃんはうずくまっているが外傷はないようだ。大丈夫ですか、といってもうなずいている。ママチャリの女の人は自転車の上に乗っかるようにうずくまり、頭を押さえている。話しかけると答えるが赤い血が流れている。彼女のほうが良くないようだ。彼女を抱えて自転車の上からおろし、道路の脇に寝かせる。


彼女を動かしている間も「すいませんすいません」と言うので意識はしっかりしている。血がポタポタ道路に垂れる。どこが痛いですか、というと頭の後ろを示す。かなり大量に出血している。通りがかりの女の人にここの住所を言って救急車を呼んでもらう。通りがかりの人たちがティッシュペーパーを出してくれるがそれではらちがあかない。今日は暑いだろうと思って持ってきておいたタオルを出して彼女に手渡し、出血の部分を押さえる。しかし彼女は髪が長いため自分にはどこから出血しているのかわからない。そしてほかの人は見てるだけで誰も彼女を触ろうとしない。なんてこった。


お兄ちゃんは起き上がる。大丈夫みたいだ。彼女の実家がすぐそこにある、ということなので彼はそこに知らせに行く。


出血部位が耳のようにも見えるので注意して彼女を見る。少し震えが来ているようだ。「痛い以外に気持ち悪かったりしませんか?」というと「いいえ、すごく痛いです」と言われる。少し圧迫していたほうがよい、とギャラリーの1人に言われタオルを(血が出ているであろう部分に)少し押し付ける。ポタポタ落ちる血は少し収まったように見える。彼はもう少しタオルを用意したほうがよい、といい近所の人がタオルを取りに走る。


そうこうしているとサイレンの音が聞こえ、救急車到着。同時にパトカーも。救急隊員は手際よく傷の部分を探し出し、大きなガーゼを貼って三角巾で止める。彼女を起き上がらせて担架に乗せる。頭以外には怪我はないようだ。


することもないし会社にも行かなきゃなので警察官に自分の住所を言って家に帰る。腕は血だらけだしジーンズにも血痕がついている。腕を洗ってジーンズを洗濯機に入れ、会社に向かう。現場にはもう誰も残っておらず、鑑識の人が写真をパシャパシャ撮っていた。


自転車同士でもひどい事故になる、ということを痛感した。また日常生活の中でもこのような”かなり非日常な”場面に遭遇することもままあるんだな、と。自分がとった処置が果たして適切だったのかどうかわからないので、いつかこういうファーストエイドの講習を受けたいな、と思った。


今日はオチなし。





2003年5月10日土曜日

オツキサマ コワレテル









保育園に愚息を迎えに行く。行くと彼は喜んで出てくる。手をつないで家まで歩いて帰る。まだ外は明るく、もう寒くもない。


彼が空を見上げる。三日月が空の頂きに見える。


「トット、オツキサマコワレテルネエ。」


何という感性。大人になる、教育を受けるということは本当に良いことなのだろうか。


彼のその感性を大事にしてゆきたい。





2003年4月24日木曜日

こでんまちょう?









今日地下鉄日比谷線で銀座方面から秋葉原まで行った。


築地を過ぎて半分ウトウトしていると「小伝馬町」という表示が目にとまった。次で秋葉原だ。ふと幼いときの記憶が甦った。





小さいころは広島に住んでいて、たまに母親の実家のある埼玉県草加市に行った。新幹線(それが開通する前はブルートレイン)に乗って東京駅に着き、山手線か京浜東北線で秋葉原まで行き、そこから日比谷線に乗り換えて草加に向かうのだ。小さいころは所謂「鉄ちゃん」だったので、よく覚えている。


秋葉原の地下鉄のホームで待っていると、まず列車の接近を告げるサインが点灯する。「次の電車は こでんまちょう を出ました」と書いてあったはずだ。広島の自宅から草加の実家までの道のりは何回も通ったので自分の中でも一本の線になっていて、ぜんぜん怖くないのだが、その線から少しでも外はもう宇宙の果ての外側だった。そういう内気な子供だった。


「こでんまちょう」はその頓狂な語感と相まって、自分の領域の外側、未知な領域を示すサインだったのだ。


今は何もなかったように居眠りして通り過ぎるのだが。





2003年3月24日月曜日

暖かい雨









夜から雨が降り始めた。


しかし日中暖かだったので、そのまま気温は下がらず、雨が降ってきても寒さを感じなかった。家に戻っても暖房をつける必要がなかった。


その昔、バンドでベースを弾いていたとき、オリジナルの歌で「暖かい雨」という歌だか歌詞だかがあったことを思い出した。そのときはその歌を作った歌い手さんともあまり仲良くならず一回その歌をやっただけでそのバンドをやめてしまったが、彼はこういう状況を歌にしたんだろうな、と思った。





2003年3月2日日曜日

NHKスペシャル「アメリカとイラク」









普段テレビを見ない私ですが、今日これを見ました。





いやー、びっくりですね。見た人はわかると思うけど、よくできた番組でした。30年位前からのイラクとアメリカの関係を、順を追って説明してくれるのですが、昔はこの二つの国って同盟国だったので。今のアメリカ国防長官ラムズフェルドがフセイン大統領とバグダッドで会って握手している映像なんかは衝撃的でした。


その蜜月の時代からなぜか現在の状況になってきたわけだけれども、その中であまりニュースでは取り上げられないフセインの策士ぶりも大きなファクターを占めるのだなあと思いました。クリントンの時代にイラクは敗戦国として国連の査察を受けていましたがそれを欺きつづけていた、という事実。また経済制裁を受けて原油の輸出が禁止されていたのだけれどもイラク国内への援助物資を買う目的に限って原油輸出が認められていた、またフセインはその際に勝手に違法なコミッションをとってそれで大量破壊兵器の開発を進めていた、という事実。その原油を第三国を経由してアメリカが買っていた、という事実。


さらに、全世界の原油埋蔵量の一割はイラクにある、という事実。これによってイラクは世界を操ることができる、という事実。湾岸戦争後破壊された油田の開発権をフランス、ロシア、中国に与える、という契約が行われていた、という事実。





再放送があったらビデオ撮りたいなあ、というくらいよくできた番組でした。


今日のような事態は、新聞のみによって現在の情報を理解するだけではなく、過去にどのような経緯があったのかを知り、その上で現在の情報と重ね合わせることによってのみ、初めて全体が見えてくるのだなあ、と思いました。


これも「温故知新」って感じかな。





2003年2月27日木曜日

猟奇的な彼女









今日は映画を見ました。


社外でのアポが3時で、3時半には終わってしまったのでそのままバックレて、映画館に飛び込みました。ちょうどこの映画が始まったところだったのでチケットを大人正規料金で(多分生まれて初めて)買って入りました。


最初はコメディっぽかったんだけど後半は何気に盛り上がりました。何だか昔の甘酸っぱい記憶が甦る、って感じでした。最近タフな生活を送っていて、ココロが乾いているなと思っていたのですが、この映画はそういう症状に効くコラーゲン注射のようなものだな、と思いました。


私のような症状を日ごろ感じている人にはお勧めです。


映画館から出ても夕方6時。ゆっくりと映画館の入っているショッピングモールを散歩して帰りました。


大したことではないけれど、それが人生を非常に豊かにすることもある、そういうことに気づかされる1日でした。あーゆっくりした。






2003年2月25日火曜日

富士スピードウェイ









今日はFISCOに行きました。


試乗会でした。


(あまり飛ばし過ぎないように)お目付け役として有名なジャーナリストの隣に座っていました。やはりその道のプロだけあって運転は上手でした。でも取材のやり方や話していることを聞くと、ああ、この人たちも普通の人間なんだなあと思いました。今までそういう人は自分にとって雑誌で記事を読むだけの天上人だったのですが当たり前なんだけれども彼らも地上人なんだなあ、と妙に納得しました。


あと、テレビの人も来ていました。取材はそれなりに突っ込んで行っていたのですが、撮る絵、その中で語られる言葉は本当お約束のものでした。こういうメディアによって流される情報を鵜呑みにしてはいかんのだなあ、と再確認しました。


あ、自分も初めてFISCOのコースを走りました。彼らのようには走れなかったけれど、コースの幅ってすごく広く、また結構アップダウンがあるのね、というのが感想。





2003年2月17日月曜日

最近ショックだったこと。









最近友達に頂いたエレアコギターでニールヤングなどつまびいて(つまびくという感じではなかったが、ま、ギターと来れば”つまびく”だね)いたら、愚息がまじめな顔をしてこちらを向き、





「トット、うるしゃいっ!」





彼がうるさいという言葉を喋るということも知らなかった私には辛すぎるダブルパンチ。。。。





2003年1月23日木曜日

化粧









会社に行く電車の中。


立ってる私の前に座っている女性がいた。年のころは30前後、そんなに派手ではなくフツーの感じ。


彼女の隣の席が空いたので座った。私は雑誌を読む。彼女はコンパクトを取り出してやおら化粧を始めた。いるんだよねこういう人。俺たちを何だと思ってるんだろうねえ。これってズボン穿き忘れて、電車の中で穿いてるのと同じだと思うんだけど。ま、そりゃいいか。雑誌に集中集中。


自分の降りる駅になっても彼女は座っていた。降りるときにもう一度彼女の顔を見た。








おいおい、別人だよ。(笑)





2003年1月22日水曜日

胸キューン。









久しぶりに胸がキューンとしてしまった。


といっても恋の話ではない。


今夜、会社の帰りに駅から家へ歩いていると、向こうから小さい子供(多分二歳未満)を連れたお母さんとお母さんの友達らしき人が歩いてきた。子供も歩いていたがかなりご機嫌斜めで泣いていた。近付いてみると泣きじゃくりながら腕をお母さんの方に伸ばし、お母さんの顔をじっと見て「ダッコ、ダッコ」と連呼している。


何故か胸がキューンとし、切ない気持ちになった。まるで恋をしたときのようだった。恋の様には持続しなかったけれど。


父親になる前であれば「うるさいガキだ」で片付いていた光景に、こうまで反応してしまうとは。父親になるということは、人間のいろいろな部分に作用を及ぼすらしい。





2003年1月4日土曜日

お宅訪問









今、昔いた会社の同僚の家に来ています。


どでかいテレビにパソコンが接続されていて、超大画面でこれを入力しています。リビングは20畳、すべてフローリングで地上十二階、海の見える新築マンションです。


彼は今私のためにカプチーノを淹れてくれています。コーヒーの香りだけがする清潔な部屋です。差し込む冬の午後の日差しも暖かげです。





ワシもいつかはこんな部屋に住むことができるのだろうか。。。。





と、とりあえずエスプレッソマシーンが置けるだけのスペースが台所に欲しい。。。。





2003年1月2日木曜日

年の初めの。。。。









正月中に起こる事は何かと「初XX」とか「XX初め」などと形容され、普段の記憶の引出しとは違うところに格納される。何故かは分からないがそういう回路に日本人はなっているらしい。


そこで私もありました。その名も、


「初寝違え」


行く年くる年をなんとなくやり過ごし、その場にいた皆さんと何となく新年の挨拶をし、しばらくして就寝。そして目覚めて(今日は正月かあ)などと思いつつ身体を起こそうとすると首筋に走る激痛!


マジか。よりによって元旦から寝違えるのか。。。





2003年1月1日水曜日

元旦in実家









実家で正月を迎えています。


今回はまる一年ぶりの帰郷です。今まで実家に住んでいたこともあって、東京に出てきてからも田舎のイメージはかなりしっかりしていたのだけれど、もうそろそろそのイメージも薄くなってきたなあ、実家に帰って見る風景、会う人達が妙に新鮮に感じられるなあ、という感じがします。


今までは実家にベースがあって東京に出稼ぎに来ている感じだったけれど、もうベースは東京に移りつつあって、実家は"Sweet home Chicago"っていうか「とほきにありておもふもの」になりつつあります。


でも久しぶりに昔の友達達と会い、馬鹿話をしつつ飲む酒はいつになっても変わらず美味しい。