2007年6月11日月曜日

しょうきさま



先日都内某所でハコバン(店の付属品としてお店のお客さんを喜ばせるために演奏すること)をしたのだが、その夜はかなり年配の方がお店を借り切って開くパーティーで、当然ながらお客さんも年配の人が多かった。ま、そういう方たちでもどのあたりの音楽を演奏すれば腰が動くかは何となくわかっているので、そういう音楽を演奏した。するとおじ(い)さんたちはノリノリになり、モンキーダンスなぞを踊って盛り上がっていた。そこで、その中の一人が私に対してこう叫んだ。



「しょうきさまーっ!」


しょうき?なんだそりゃ?それがなんなのかわからずずーっと頭の片隅に引っかかっていた。


そういえば幼少のみぎり、軍艦・戦車・軍用機好きだった頃に「しょうき」という日本軍の戦闘機があったなあ。ネットでググると「中島 二式単座戦闘機 錘馗」というものらしい。


「錘馗」でググると大体次のような解説がでてくる。



鍾馗様の伝説は、古代中国「唐」の時代にさかのぼります。 当時終南山という地に錘馗という青年が住んでいました。彼は高級官吏となるべく都へ出て、試験を受け見事トップ合格して「状元」という称号を受けます。ところが、髭面 で大男の彼は人相がとっても悪かった為に、謁見した玄宗皇帝に怖がられ、状元の称号を取り消されてしまいます。絶望した錘馗は自殺。


その後、玄宗皇帝はマラリアにかかり、病の床につきます。高熱に浮かされる中で皇帝は、自分に取り憑く多くの悪鬼を大鬼が現れて退治する夢を見ます。皇帝が夢の中で「お前は誰だ」と尋ねると、自分はあの鍾馗だと言うのです。そして、自分は官吏の試験に落ちて絶望して自殺したが、手厚く葬られたのでその恩に報いるため、天下国家の災いを除くことに執心しようと誓いを立てました。と述べます。


夢からさめた玄宗皇帝は、不思議と病気が全快していました。皇帝は自分の短慮を深く後悔し、急いで画家を呼ぶと夢で見た鍾馗を描かせました。そして皇帝は、自分の命を救ってくれた錘馗を今後は神として定め、祀ることにしました。以来錘馗様は、受験の神様・疫病除けの神として祀られるようになります。


右手に破魔の剣を持ち、左手で八苦を抑えて、周囲をにらむような怖い表情で見渡す錘馗様。でもとっても努力家で頭のいい、優しい人だったのです。


そこから端午の節句では、赤ちゃんを病魔から守り、頭が良くなるようにと受験の守り神として鍾馗様を飾るようになりました。



ううむ、ヒゲ面で人相が悪い大男なのか。。。しかしいい人なんだな。京都では町家の庇の上に家の魔除けとして乗っているそうだ。なんでも中国では鬼より強いとされており、鍾馗さまは鬼瓦よりも家内安全無病息災病魔退散パワーが強いらしい。


なるほど。なんか私に似てるかも。親近感がわいてきた。。。





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