2011年10月17日月曜日

審判の苦悩



昨日縁あって審判デビューしました。といっても小学生のドッジボール、それも主審ではなくて線審でしたが。


普段からサッカー、野球など見ていると不可思議なジャッジがありますよね。あれにいつも憤慨していて、絶対あれば八百長だ、と思っていたのですが、実際にやってみてこれは大変だ、ミスジャッジもあり得るな、と思った次第です。


線審の仕事は非常に単純で、線を踏みながら投げた人がいたらホイッスルを鳴らして試合を止める、ただそれだけです。しかし、一生懸命子供達がプレイしている中で、少しだけ踏んじゃってるなー、というケースがあるわけです。ここで笛を吹くと試合の流れを止めてしまう、少し逡巡してしまうともう試合は進んでしまいもう止められない、という状況になるわけです。ここは感情を捨ててセンサーになり切らなきゃ、と思うのですが、その状況で素早く的確に笛を吹くことは意外と難しい。難しくないかたもいると思いますが、私にはかなりハードルが高く、訓練を要するな、と思いました。


あと、長時間やっていると集中が切れて目の前でもジャッジすべき事象を認識できないことも多々ありました。こういう状況でジャッジを求められると誤審を生みやすいな、と思いました。ちょっと抗議されると受け入れちゃいそう。自分でも見えてないんだもの。


結局、審判も人間だからある程度のミスはあり得る、そこを改善することは大事だけど根治はできない、だから審判がジャッジする競技にはそういう不確定性がある、それは受け入れなければならない、これが結論です。


でもこれは以前の私を含め皆に共有されている考え方ではないと思います。実際私の担当した決勝で、少し微妙な判定があり、それが勝負を決めてしまいました。子供達に加え見ている大人達も出てきて主審に猛抗議。私の心情的には審判のジャッジには(それがいくら誤審だったとしても)従おうよと思いましたが、夜カミさんと話すと、そのジャッジで優勝と準優勝が決まってしまったので、大人が抗議することは子供達のためにも必要なのではないだろうか、との意見でした。それにも納得。


審判団は抗議は受け付けるものの、結果の変更には応じず、当初のジャッジ通りで結果が確定しました。これは素晴らしい。これで何かを変えてしまうとさらに遺恨を深めるし、審判のジャッジは絶対ではない、という悪しき前例になってしまう。


この件に感しては色々な意見があると思います。私は今回初めて審判側にいたので、今までと違う新たな視野を得ました。





2 件のコメント:

  1. やんさん> ガララーガの話、ネットで読みました。そう、レベルは違うけどドッジボール大会で起こったのはそんな感じの問題だった。親もガララーガ的な反応ができればオトナなんだけど、当事者になると難しいだろうなあ。。

    返信削除
  2. mashさま> 外野ワンタッチっていうルールは今回ありませんでした。私が気がつかなかったのかな?ドッジボールって聞いてるとルールがまちまちなんですよね。これも今回のような問題を複雑にしているのだと思います。
    ラガーマンの話も深いですね。色々審判の問題はあるのですが、それがスポーツをより人間味ある味わい深いものにしているような気がします。全く傍観者としての目線ですが。。。

    返信削除