家人も子供も寝てしまい、1人でウトウトしながら山下達郎のSeason's Greetings を聴いています。みなさま、よいクリスマスを。
2011年12月24日土曜日
2011年12月17日土曜日
If world ends tomorrow
冬晴れと言っていい、寒くてよく晴れた朝。娘は朝から公園に行こう、と元気満々。なだめすかしつつ食器を片付け、洗濯物を干してから公園へ向かう。といっても家の裏。
ブランコでひとしきり遊び、大きな枯れ葉を拾い葉っぱの部分をむしりとって剣にして戦い、石ころを拾って何故か水道で洗って干す。よく遊ぶなあ。
そのうち「自転車に乗りたいなあ」と言い出す。すかさず「じゃ自転車に乗ってクリーニング屋さん行ってみない?」と私のタスクとマッシュアップした折衷案を提示。家に戻ってコロ付き自転車を出し、私の洗濯物を持っていざ出発。自転車に乗って家から半径50m以遠に長征するのは始めてのムスメ、心が躍っているのかな。私は徒歩で彼女を支えつつ暴走しないように止めたり、動かないと押したり。下り坂では自転車を降り、二人でブレーキをかけつつ下る。
いつもは車で5分とかからないクリーニング屋、たっぷり片道1時間以上かけて向かう。道すがら兄貴の保育園のお父さんお母さんに会う。彼らは赤ん坊の娘しか見たことがなく、自転車に乗っている彼女を見て驚き、目を細めてくれる。
やっとクリーニング屋の前に到着。自転車を店の前に置いて店内へ。彼女にいつもラムネをくれるお姉さんがカウンターにいた。ニターッと喜びを隠せないムスメ。「今クリスマスだから」とお姉さんは赤い長靴に入ったお菓子の詰め合わせをくれる。「ありがと!」上気したムスメの頬。
帰りは別の公園に寄り道。お昼をかなり過ぎてから帰宅。
もし、世界が明日で終わるとしても、今日したようなことをムスメや息子、カミさんとするんだろうなあ。
2011年12月10日土曜日
2011年12月7日水曜日
2011年12月6日火曜日
下北沢の玉屋時計店万歳!
我が家には振り子時計が2つあるが、1つが動かなくなった。ぜんまいを巻いてもすぐに止まってしまう。直してもらおうとタウンページ片手に時計修理の番号に片っ端から電話する。ほとんどの店は「すみません、古い時計は直せる職人がいないんです」と体よく断られる。しかし、玉屋時計店は「いいですよ。持ってきてください。1ヶ月ほど預からせてもらえれば。」と普通に受け入れてくれた。
半信半疑で時計を持って下北沢へ。オサレな一番街に昭和の薫りたっぷりで佇む名店。中に入るとあちこちの壁に振り子時計がかかっている。ビンゴだ。
予想よりもかなり若い、電話口と同じ朴訥な話し方の店主に時計を預けて帰る。そして一ヶ月、電話がかかってきた。「お待たせしました。」
ワクワクしつつ取りに行く。店に入ると他の振り子時計と同じように壁にかけられ、ピカピカに磨き上げられた我が家の時計が静かに動いていた。ちょうど夜7時、店中の振り子時計が鳴り始めた。ボーン、ボーン、というもの、学校のチャイムの旋律を奏でるもの、様々な鐘の音が渾然一体となってドイツの大聖堂の鐘を聞いているようだ。祝福されているようだった。
気になる代金は「お勉強して1万円です」ありがとうございます。
古い時計を直してもらいたい方、下北沢へGo!ですよ。
2011年12月3日土曜日
今日の東京新聞 ひろさちやのほどほど人生論
なるほど、と思ったので以下一部引用。
日本においても、近代の産業化社会において勤勉が美徳とされるようになったのだと思います。明治以降のことです。歴史学者の考証によりますと、昔の日本人はそれほど勤勉ではなかった。江戸時代の庶民たちは、平均して一日四時間ぐらいを働き、あとはのんびりと暮らしていました。彼らは、食い扶持を稼いだあとは、それ以上を稼ぐのを「浅ましい」と軽蔑していたのです。その意味では、勤勉はむしろ悪徳でした。
以上。「庶民」に限定しているので、当時でも支配階級や豪商はメチャ働いていたろう、と反論も成り立つが、それ以上稼ぐのは浅ましい、というのは新しい視点かも。
2011年12月2日金曜日
今日の東京新聞 佐藤優の本音のコラム 新聞の良心
オフレコをリークすることの是非について。これについて自分の中ではモヤモヤしていたのだが、この文章を読んで納得。以下一部引用。
オフレコ発言をもとにした更迭を問題視する意見もあるが、それは間違いだ。マスメディアの使命は国民の知る権利に奉仕することだ。オフレコ懇談の内容を明らかにすることで情報源との今後の信頼関係が損なわれることと、国民の知る権利を比較考量した上で、後者の方が圧倒的に重いと判断すれば、それを報道することこそがマスメディアの仕事だ。
以上。情報源との関係を損なってでも伝えるべきことがある。メディアの方、心していただいて。